ユーゴスラヴィズム

映画「アンダーグラウンド」から読む世界の虚構!


5. 解放への道

 クストリッツァは、地上と地下室のどちらも権力者によって支配された「アンダーグラウンド」の世界に逃げ道を作った。それは、地下室から続くトンネル網と、地下室の中にある井戸から続く水路である。ここでは、「アンダーグラウンド」の地下世界は何を意味し、何を象徴しているのか、くわしく考えていきたい。 
 トンネルには、時には外国へ亡命する避難民を乗せたNGOの救助車が、また時には流浪するロマの幌馬車が通り抜ける。これは、国境を越えて網目状に連なる、事実上の秘密の逃げ道として描かれている。もちろんクストリッツァの想像物である。そして井戸の水路は地下と海底をつなぐ、そして海底から地上へとつながる道である。しかし、トンネルの続く先とは区別して、そこから
広がる世界は現実を超えた異空間として描かれている。
 クロの息子ヨヴァンの花嫁は、彼が戦場へ繰り出したことを知り、ショックのあまり井戸の中へ身を投げる。ヨヴァンはそんなことは知らずに別の地で溺れ、海中へと沈んでゆく。ところが、海底で花嫁に会うことができたのである。
 また、姿を消したヨヴァンを探すクロが、息子が死んだと悟り、またもや井戸へと飛び込んで海中へと流れてゆく。そして、彼もヨヴァンと花嫁に会うことができた。更には、彼らを裏切ったマルコやナタリアもそこでは自由に泳ぎまわっている。彼らは昔の姿のままで再会することができたのだ。
 そこでは、生前離れ離れになった者たちや、憎しみ合っていた者たちが共に戯れることができるのだ。そこは、生と死の「境界線」さえ存在しない混沌世界、つまりはカオス的な世界なのである。
 そして、このような混沌世界の上にある地下とは何の象徴なのであろうか。そこは四方八方に道が開かれていて、生と死の境界さえあるが、望めばどこへでも行ける自由な世界なのではないか。そこは何のイデオロギーも存在せず、あらゆる可能性に満ち溢れている世界なのだ。
 しかし、トンネル網が自由なる通路であると気づかない地下の住人たちは、イデオロギーに縛られ、限られた空間に閉じ込められている。また、クロや息子のヨヴァンのように、トンネルの行き先を間違えることになる。このような狭義の世界である地下室は、あらゆる窮屈なイデオロギーによってがんじがらめにされている、私たちの社会を映し出してはいないだろうか。私たちの世界では、生と死という概念がつくられ、そして色々なものに名前がつけられ、それらを選び取るとともに他のものが排除されていく。そうするうちに次第に狭い世界へと押込められていくのである。
 ここでの地上とは、その極端な状況のために起ったユーゴの紛争という一例を、地下室の鏡として拡大化して描いているのだろうか。ここで描かれている地上には国境も通路も描かれていない。一面の焼け野原が続いているだけだ。これはイデオロギーに支配され、世界を一義的にしか見ることの出来ない人たちの視点ではないだろうか。第3部で、イヴァンの入院先の医者二人がこういうやり取りをする。
 「共産主義自体が地下室だ。」
 「いや、地球全体が地下室だ。」
こういって彼らは笑い出す。しかしここには、世界にそういった視線しか向けられない人々に対するクストリッツァの皮肉な笑いが見え隠れしている。彼らには別の自由な世界は存在せず、今ある場所から抜け出すことはできないのである。クストリッツァは地下室から広がる未知なる世界があることを知っていたのだ。地下室ではなく、それらを取り巻く一面の地下世界こそが、「全体世界」なのである。
 この映画の中で、その地下世界を自由自在に移動していたのはロマや亡命者たちであった。しかし、イヴァンも漠然とそのトンネル網の可能性に気がつき、ラストでは意識的に地下通路を移動している。彼は、第V部で病院から抜け出して祖国セルビアへ向かうときに、地上ではなく地下の通路を辿って思い通りの目的地へ辿りつけたのである。彼が繰り返し自殺未遂をするという設定からも、現状に疑問を持ち、にわかに世界の虚構性を見据えていた、クストリッツァに近い唯一の人物であるといえる。しかし、イヴァンは地下通路の存在に気づいたが、それを巧みに使用することができなかった。マルコに騙されていたことがわかった彼は、マルコに仕返しし、その罪によって自殺してしまうからだ。
 では、イヴァンはどうすれば良かったのか。ロマや亡命者たちのように国境を越えれば良かったのだろうか。クストリッツァは、ラストに理想的な世界を描いている。そこは、海底に見たような世界を実現した地上の楽園である。彼らはそこでまた再会する。憎しみ合っていた者たちが笑い合い、死者たちが歌い出し足の悪い者たちが躍り出す。このような世界は、祖国から分断され流されていく孤島として描かれた。これは、クストリッツァが示した支配的世界からの解放、そして自由なる道への手段であろう。では、彼らは何処へ行くのか?その問いは、次作「黒猫・白猫」の登場人物たちが見せる無垢な笑顔、天真爛漫なまでのしたたかさ、そして彼らが織り成す人間ドラマに託されている気がしてならない。

                                            

Writing in winter/1999
 
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