越境する思考

Like a Roma!


* I met Roma.
 「人生はすばらしい!!」
そう大声で叫び、輝きに満ちた笑顔を見せてくれたのは、エミール・クストリッツァ監督の映画「黒猫・白猫」のロマ(ジプシー)たちだった。私はロマに嫉妬した。その笑顔があまりに魅力的だったからだ。国家を持たず、数々の差別を受けながら放浪してきた彼らが、なぜこんなにも生き生きとしているのか。
 私とロマとの出会いは、トニー・ガトリフの「ガッジョ・デイ―ロ」という映画が最初だった。その映画の出演者たちのほとんどが、舞台であるルーマニアの外れの村で実際に生活を営む実在のロマたちであった。私は一目で彼らから目が離せなくなった。一触あるごとに変化していく表情の豊かさ、声を絞り出すようにして話す独特の訛りのあることば、彼ら独自の音楽が常に体内を流れているかのような、フラメンコを想起させる身のこなし、それら一つ一つが情熱的ではじめて出会うものばかりだったからだ。 このロマたちは演技などしていなかった。しかし、役者の経験などない彼らこそ、在りのままの生き様を自由に演じる、巧みな表現者たちであった。私はこの映画によって、独自の歴史、習慣、文化を持つロマそのものに興味を持つようになった。
 しかし、私がこの映画に夢中になったのには他にも理由があった。それはラストシーンで、あるエピソードが痛切に想い起こされたからだ。この映画は、ステファンというフランスの青年とルーマニアのロマとの交流を描いたものだ。ステファンは幻の歌姫を探して旅をし、ルーマニアのジプシー地区に辿りつく。彼は、はじめはガッジョ(よそ者の意・ロマ以外の人々、特に私たちのような文明人を指す)として不審がられるが、彼の善良な人柄によってロマたちは心を開き、次第に受け入れられていく。ロマとの質素な共同生活、そして、情熱的なロマの女性との恋。彼はそうしてロマたちに魅せられていく中で、彼らの音楽を録音し、後に残していこうと試みる。それらは過酷な歴史を持つロマたちの、悲しみや辛さを歌う魂の叫びだった。
 しかし、ある事件をきっかけに彼の中で何かが変わり始めていく。その事件とは、ガッジョの迫害による放火、そして一人のロマの死であった。そこで、ステファンは今まで録音してきたテープを墓場に埋め、一人、ロマ流の葬儀をする。
私はこのラストシーンで、旅先のバリでの体験を思い出した。そして、この時のステファンにバリでの自分の姿がオーバーラップして映ったのだ。私は以前バリ島へ旅行したとき、地元の人々と親しくなり、特にある家族には本当によくしてもらった。彼らのやり方で共に食事をし、彼らの民族衣装を着させてもらい、彼らの先祖にお参りをした。私はバリの人々になりきっていた。しかし、どうしても自分がよそ者だと自覚せざるを得ない時が幾度もあった。やはり一つには言葉の限界であった。親しくなればなる程、たどたどしい英語で自分の感情を上手く伝えきれないことへの苛立ち、悲しみは免れなかった。 けれど、言語上の壁は差ほど重要ではなかった。私がやりきれない気持ちになったのは、彼らの不幸を同じ立場で悲しむことが出来なかったからだ。彼らが貧しさのために薬が買えず、両親と兄弟二人を亡くしたと聞いたとき、ことばが出てこなかった。彼らの痛みを知らないで、うわべだけ装っている自分がとても恥ずかしくなった。そう思った瞬間、風通しのよかった私たちの間にたちまちもやもやとした蜃気楼が立ち込め、彼らが未知の存在になっていったのだ。
 しかし、「ガッジョ・デイ―ロ」のステファンは諦めなかった。彼が時間と労力を費やして作ったカセットテープを墓場に埋めたとき、ロマの悲しみの叫びを録音するのではなく、共に自分も歌うことを決意したのだ。音楽と魂とで結ばれたロマたちとの間には、国境も民族の境界線も消滅していたに違いない。では私はどうだろう。バリの友人たちと共に歌ったとき、笑ったとき、彼らの話を聞いて胸が痛んだとき、私たちは境界をすり抜けて心を通わせていたのではないか。視界を覆った霞がすきっと晴れ渡るような思いで彼らを思った。
 このように、私たちを隔てる既存の「境界線」を引き直し、それらを自由自在に飛び越え、移動することができたならどんなにすばらしいだろう。あらゆる世界や人々に開かれ、自由に関わり感じることができたなら、世界はもっと輝やいて見えるのではないか。
それは、個々の内に新たな世界を作り出すことで可能になるのではないだろうか。隔たりだらけの現実の小さな世界から、心の内なる世界へ自由に越境するのだ。「ガッジョディーロ」の彼らに見られるような、個々の存在が持つ思いや信念、理想や夢を通して互いが通い合うことのできるそれぞれの世界を持ち、そこへ自由に行き来すること。その「精神的な越境」という思考によって、世界はもっと開かれたものになるのではないか。
*「流浪の民」ロマたちの知恵
 ロマたちはそのような「精神的な越境」を、ガッジョとの関係の中で培ってきた。 ロマがヨーロッパに姿を現したのは14世紀頃だとされている。差別の歴史の中で、彼らは必死に同族間の堅い絆、文化、アイデンテイテイ―を守るために、世界中に散った仲間を求めて移動し続けた。ロマの長い流浪の旅の始まりである。しかし次第に、移住国のガッジョとの関係において、彼らのしきたりや文化を柔軟に取り入れるようになっていった。フラメンコやジプシーブラスなどよく知られるジャンルのように、それぞれの土地で独特な音楽・芸能を作り上げてきたが、それもじっくり観察すると、ロマの好みだけでは成り立っていない。土地の人々の伝統を上手く汲み取りつつ、そのときの流行を取り入れながら、仕上げはロマ風の味付けというところだろう。 長い歴史の中で、争いを起こすことが意味のないことであると、繰返し学び得てきたのである。
 彼らはかつて、移動することこそロマの象徴だと考え、定住化する同族を成り下がり者だとけなしてきた。しかし、これを「世俗化」とみるのは単純すぎたのだ。彼らは、自分たちの一番大切なものを守る為に、ガッジョと上手く折り合いをつけていくようになったのだ。これは放浪し、ガッジョとの関係を一切持たないことでしかアイデンテイテイ―を保てないと考えていたロマたちにとって、大きな転機となっただろう。彼らは知ったのだ。元々祖国を持たない彼らの真の「祖国」とは、一人一人の魂の中にあるということを。何処にいようが、彼らの持つしきたり、文化、ロマ民族としての意識が失われない限り、彼らはその「祖国」に生き、仲間と堅い絆でつながっているのである。ロマは、社会の内側と外側の「境界」を移動することによって、このような知恵を学び得たのだろう。
*クストリッツァの越境
 エミール・クストリッツァもまた、ロマに魅せられた一人だ。近年まるでおとぎ話のようなロマの生活を喜劇的に描いた、「黒猫・白猫」を発表した。それは、彼の人生において分岐点となる。かつてクストリッツァは、政治色の強い作品「パパは出張中」や「アンダーグラウンド」に対して繰返し非難を浴びたことで、一時映画界を去る決意をする。彼にとって政治論争など不本意なことだった。彼の決意は、作品を誤って解釈した人々に対する抵抗であったのだ。 ウンベルト・エーコはファシスト的態度の核心を為す特徴を列挙し,例えば、ドグマへの固執,ユーモアの欠如,理性的議論に対する冷淡さ,を挙げたが、彼はこれ以上にないというくらい誤っている。クストリッツァはこのような、狭義な視点でしか解釈出来ない人々による非難の声や、それによって起る論争に嫌気がさしたのだ。

 しかし、彼は「黒猫・白猫」というピュアでプリミッテイブな魅力で溢れる映画を引き下げ復帰したのだ。「ロマが私を映画へ戻らせてくれた。」と、彼はいう。あるテレビ番組の仕事でたまたま一緒に仕事をした、ロマたちの魅力的な輝きに魅せられ、映画を撮らずにはいられなくなったというのだ。クストリッツァは、名声もプライドも捨てて撮ったこの映画についてこう語っている。
  「初めて映画を作るつもりで作った。映画に戻れることが嬉しくて、人生のありとあらゆる
  ものに対する自分の熱狂や愛情を表したい思いに駆られていたから、人生に色彩に、
  光に、そのまま戻っていった。」と。
 クストリッツァはロマに何を見たのだろうか。「ロマたちは記憶なんて問題外」と、彼はいっているが、これはロマの輝きを説明するのに重要な手がかりになるだろう。ロマは迫害の歴史の中、常に悲しみと喜びが両隣りにあったため、一つ一つの不幸にいつまでもとらわれず、笑い飛ばして明日のことを考える習慣が身についていったのだ。彼らにとって、「忘れること」と「笑うこと」は同じ意味を持っていた。その「笑い」とは、不条理を理解した上での笑いなのである。ロマたちはガッジョに対抗することではなく、それを笑い飛ばすことで彼らとの対立を逃れてきたのだ。社会学者のジュデイス・オークリーはロマとの共同生活の際、度々耳にした彼らの自己弁解的なジョークに驚かされたという。
「そこに死体が転がっていたんだ。それがジプシーのだってこと、どうしてわかったと思う?」 「尻の穴に釘がささっていたからよ。」 「ジプシーは、釘を売って歩いているとされているんだから。」
 このような冗談が交わされたとき、ロマたちは気持ちの良い、大笑いになったそうだ。また、彼らはアウシュビッツ強制収容所に送り込まれた時でさえも、陽気に振舞っていたことが確認されている。当時の収容所責任者がこのような調書を残している。
 「1944年8月には約四千人のジプシーが残った。・・・かれらを毒ガス室に送り込むのは、 ユダヤ人の場合より容易ではなかった。ジプシーは全て子供のように人なつっこかったし、かれらと友好的関係にあったから。かれらは放浪を禁じられている点のほか、抑留をとくに苦にしているようには見えなかった。・・・・・・・かれらは楽天家である。誰かが収容所にくると、かれらはすぐバラックから出てきて、楽器をならし、特技を披露し、子供たちは躍ってみせた。・・・」
 クストリッツァは、「彼らは自分たちのアイデンテイテイ―を保つのには音楽と美さえあればいい。」と語っている。祖国を失い、民族という神話が壊され、信じていた社会主義の崩壊によって、アイデンテイテイ―とは何か、と問わざるを得なかったクストリッツァにとって、ロマたちは大きなヒントを与えてくれたに違いない。そしてまさに「黒猫・白猫」は、「アンダーグラウンド」の虚構の世界から脱出できた人たちの、もう一つの物語なのである。それは、クストリッツァにとって新境地であった。全てを白紙に戻すことによって、自分の「内なる声」が本当に何を望んでいるか再確認した。そして、論争のために不自由な思いをするのは意味のないことだと悟り、新作「黒猫・白猫」を引き下げて復帰した。クストリッツァも新たな「祖国」を見いだしたのだ。それは、「人生に、色彩に、光にそのまま戻っていくよう」な、他でもない「映画」であったのだ。
                                            

Writing in Summer/2001
 
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