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「See-through」
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好きな場所がある。どうってことのないJR市ヶ谷駅に隣接しているカフェだ。市ヶ谷には祖母が一人で住んでいて、記念日や誕生日には贈り物を届けるのだけれど、事前に連絡していてもほとんど留守のことが多い。彼女は風のような人で、米寿を迎えた現在も、平日は早朝から夜遅くまで活版印刷所を手伝い、週末はショッピングを楽しみに軽やかにどこかへ出かけてしまう。なので、届けものはきまってドアノブにつる下げ、手紙を添えて帰ることになるのだった。けれど、私には他に楽しみがあるので、少しも苦ではないのだ。
それが、先に述べたカフェでのひとときだ。一見何の変哲もないスタバなのだが、2階へ続く階段を上り中へ入って見ると、ニ面の壁がガラス張りになっていて、目前にバーンとパノラマが広がっているのだ。一方の窓からは神田川のお堀と橋の上を行き交う人々や車の流れを眺めることができる。もう一方の窓からは真下から二股に伸びる通りの先を眺めるのが、なかなか気持ち良い。そんな抜けのよい景観をしばし楽しむ。しかし楽しみの本番はこれからだ。
ここは、夜がすごいのだ。何がすごいってコツンコツンとぶつかってくるのだ、外から中の明かりを目指して、透明のガラスに昆虫やら鳥やらが。それもそんなに頻繁ではないのだけれど、夏の多いときは数分おきにドジな彼らがやってくる。そんな以外な訪問客をこっそり待つ楽しみ。大きい声では言えないけれど、病み付きになりつつあるこの頃。たまに長居していく昆虫方もおいでになる。透明のガラス越しに見る彼らの腹部はもの珍しく、少しエロティックでもあり、ついつい見つめてしまうのだ。
今年初めに母方の伯母が余命宣告され、入院先の病院へ見舞に行ったときのことだった。病院の庭先にある花畑を二人で歩いていると、チューリップの前で立ち止まってこう言った。
「以前は花を見ると単にきれいだなあと感じていたけれど、自分の体がこうなってからは、花を以前のようにではなく、下から透かして見るようになったり、薄い花びらの中を想像するようになった。」、と。とても胸に迫ることばで、何て返してよいかわからなかった。でも、不謹慎かもしれないけれど、未知なる花の内部を透かして見るという行為が、少しエロティックであるように感じた。弱く繊細で秘密めいたその中を、自身の身体に重ねていたのだろうか。画家を志していた伯母が、今度はまた違った角度からキャンバスを彩れる日がくればいいと、強く願うばかりだ。そんな伯母の花を透かす行為と、私の昆虫の腹をガラス越しに見るという行為は似て非なるものだけれど、秘密めいたエロティシズムを伴う点では少し似ている気がする。
先日は、コウモリとも鳥とも蛾とも判別のつかないお方が、バチンっと激しくガラスに体当たりしていた。これは事故だと思い、彼らにわかる標識でもあればな、と思ったりもした。火事場や事故現場に真っ先に掛けつける野次馬にはなりたくないと思いつつ。これはあくまでも観察だ、昆虫観察、珍動物観察なのだと居直り、相変わらずコーヒー片手に窓ガラスに顔をつけるのだった。
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