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「音と戯れる」
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盲目のアコーディオン奏者、マルセル・ロフラーが、自身のバンドを引き連れて来日公演することが決定した。その知らせを聞いて、一昨年の夏、初めて彼の演奏を耳にした感動が再び蘇ってきた。ジャンゴ・ラインハルトの直系であるマンディーノ・ラインハルト率いる別バンド、「ノート・マヌーシュ」のメンバーとして初来日した時のことだ。元々マヌーシュスゥイングは、どちらかというとストイック でモノトーン調の雰囲気漂うギターアンサンブルだ。それがマルセルの アコーディオンが加わることで、たちまち色彩豊かな彩を放ち、曲そのものが様々に変調していく様子に驚かされた。彼の演奏は、時にはパリのミュゼットのように小気味よく軽快なリズムを刻み、時にはピアソラを彷彿とさせる創造性豊かな巧みなソロを聴かせてくれた。
彼は全盲なので、他のメンバーやミュージシャンとは、音との関わり方が明らかに違うのだろうと思った。印象的だったのは、演奏中に彼が、観客の反応にじっと耳を傾けるようなしぐさを幾度もしていたことだ。視覚では捕らえられない状況に対し、観客の歓声や手拍子だけではなく、空気の摩擦からをも何かを感じ取ろうとしているように映った からだ。一つ一つの音を丁寧に繊細に感じ取る、彼の一つの才能が、あのようなイマジネーション豊かな音楽を生み出しているのだろう。
また、公演の案内役である司会者より彼らの秘話が披露され、そのエピソードからも、彼の音に対する真摯な態度を汲み取ることができた。バンドのメンバー全員で、京都の寺で座禅体験をしたときのこと。他のメンバーはあまりの静寂さに、おもわず可笑しさが込み上げてきて吹き出してしまったそうだ。そして最後まで肘で互いを突つき合ったりしながらはしゃいでいたそうだ。一方マルセルはというと、静寂にじっと耳を傾けたのち、聞こえてくる音の繊細さに感銘を受けたようで、黙々とテープに録音しはじめた、とのことだった。
視界から余計な情報が入ってこないので、音に対する集中力が極まり、研ぎ澄まされ、より純度の高い音をキャッチできるのだろうか?では、目の見える私が視界を遮って音を拾ってみたらどうだろうか?沈黙の中で 音はどんな風に聞こえてくるだろうか?何だかとても興味が沸いて、夜中に試してみることにした。皆が寝静まった頃に部屋の窓際に腰掛け、耳を澄ました。掛け時計の秒針がすすむ、チッチッチッという音だけが部屋にこだましていた。今度は目を閉じ、闇にじっと耳を傾けた。そうしたら、表の木々からは、夏の終わりを惜しむかのごとく鳴き続けるセミの声が聞こえてきた。また、更に耳を澄ませると、数十メートル先の民家の玄関からであろうか、既に季節外れになりつつ、ある風鈴のチリチリチリンという音がかすかに聞こえてくる。そして、時折吹く風の音、それによって揺れるカーテンの音、木の葉のすれる音など。また、遠くの環状七号線からは、車の走行音などが聞こえてきた。はじめは単独でしか聞こえてこなかった 音が、不思議なハーモニーを奏ではじめたのだ。そして、音同士が溶け合うように一つになってひろがっていった。その緩やかな音の波動に身を委ねると、いっしょに音の中へ入っていくような感覚を覚えた。それはとても心地よく、いつまでも音と戯れていたいという気持ちにさせた。
そして、再び目を開けてみた。突如心地よい音の世界から放り出され、さっきと同じようにチッチッチッと、時計の刻む現実の世界へ引き戻されたように感じた。後から、時計が視界に入っているから、それが際立って聞こえるのだと気が付いた。視覚から入る先入観というものは、こんなにも他の感覚器にブレーキをかけてしまうものなのか。そして、こんどは時計から目を離した。セミの声や風の音がだんだん意識の中に入ってきて、確かな音になっていくのを感じた。周辺の音は、先ほどから変わりなく生成されているはずなのに、こちらの状況や意識ひとつで聞こえ方が変化するのだ。まるで、私という特殊なステレオ装置をオンにして、チャンネルを合わせたり設定を変えながら音を操っているようだ。音は、全て私という真空管を通して聞こえているのだ。実際の音の質や音量よりも、最終的にはその真空管の純度が、重要なのかもしれない。
その夜から、音とあそぶのが楽しくなり、度々何かの拍子に音の中へ引き込まれていった。先日図書館にて、見ず知らずの人と、音を通じて交流するという機会があった。パソコン利用者用に設けられた、机が二つ向かい合っているだけの、小さな個室でのことだった。テーブルの高さがあるため、向かい側に居る人の顔は見えなかった。ただ、ものすごいスピードで紙にペンを走らせているようで、流暢な 音が個室に響いていたのだった。そして、私の方はノートパソコンでタイピングをはじめたので、手狭な個室の中にはタイピングの弾けるような音と、ペン先を滑らせる流れるような音が鳴り響いた。不思議なセッションのようだった。
帰る際立ちあがると、音の主と目があった。なんとなく親近感を感じ、「ペンを走らせる音がとても心地よかったです。」と、思わず声をかけてしまった。 すると、戸惑うことなく笑顔でこう返してくれた。「こちらこそ、キーボードをたたく音を聞き入っていましたよ。」
見ず知らずの人と、互いの放つ音を通じて交流していたことを知り、こそばゆくも晴れやかな持ちになった。こんな思いがけない所にも、音と音のジャムセッションは生まれるものだ。今後も、身近な音との戯れが楽しみだ。
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